大島 定吉

  1. 久保田町
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大島 定吉

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1475

安政3年〜昭和17年(1856〜1942)政治家
 久保田村搦の大島龍七の3男として出生。学才には乏しかったが機智に富み、喧嘩太郎で有名だった。押しの強さには定評があり、議論をして人に譲ることはなく、頭の閃きが早く、その才覚他に類例なし、反骨精神で村会議員は勿論、佐賀郡会議員まで掌中にした。村内の政党は石川又八を初め政友会優勢な中で、大島は1人憲政会で活躍した。昭和9年佐賀板紙株式会社の流す悪水問題が、漁民との間でようやく解決した時、大島は会社と村当局が結んだ和解契約を不満として裁判所に提訴した。会社・弁護士、本人・弁護士。それに県の調査・調停と様々な動きがあったが解決に至らず、結局は当時の漁業組合長高森豊吉の調停で、大島もこの訴訟を取り下げた。蓄財に長じ、その財源は有明海であった。魚漁が得意でアゲマキで大儲けをし「アゲマキ定」のあだ名もあった。カキを養殖加工し、中国の上海まで輸出し巨額の富を貯えた。晩年は、大正8年(1919)4月、久保田塗料製造株式会社を創設、同村新田に工場を建て、カキ殻を粉砕し塗料を製造した。社長に大島定吉、取締役に中島松二郎・古賀醸一郎が就任した。享年86歳

出典:久保田町史 p.305〜306