森山 定太郎
森山 定太郎
■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1487
明治4年〜昭和6年(1871〜1931)実業家(銀行)
久保田村徳万にて資産家森山嘉平の長男として出生。一家は慈善公共の志篤く郷里の人々に敬愛されていた。大正5年(1916)9月、同地に金融機関の設備なく不便多きことを察し、その親戚にあたる橋本栄治と提携し、資本金50万円を以て株式会社「西肥銀行」を創立す。森山が頭取となり経営基礎を鞏固にすると共に、地方産業の開発に活力を注ぐ。生来純朴で思想頗る穏健、彼の西肥銀行の創業日なお浅きに拘らず地方に信用厚く、業務着実に伸張す、その原因は数々あると思われるが、業務に対する情熱と誠意によるものと思われる。之より先森山・橋本の両氏は各村において貸金業を営んでいたが、時勢の推移にともない四囲の事情が奮起を促し銀行設立に踏み切った。当初佐賀郡久保田村徳万に設置し、その後神埼郡神埼町に支店を、同郡三田川町吉田に出張所を開設した。大正7年6月末現在、支店出張所2カ所、取引先47ヵ所を数えた。大正12年(1923)本店を佐賀市松原町に移した。昭和3年4月、百六銀行に合併され、同行も当時住友銀行の経営下にあった。18代久保田村長(昭和6年)墓は小路の妙鎮寺にある。享年60歳
出典:久保田町史 p.317