堤 善六

  1. 久保田町
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堤 善六

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1492

明治13年〜昭和39年(1880〜1964)製瓦業
 久保田村大字久富北田で製瓦業を営む堤乙吉の長男として出生。小学校の成績優秀で、当時としては数少ない進学を希望し、昭和27年佐賀県立佐賀中学校(現佐賀西高校)に入学。勉学に励んでいたが、学業半ば病気のため退学し、療養ののち家業の製瓦業に従事した。
 明治33年、輜重兵第12大隊に入隊。退役後日露戦争に出征、戦功により勲八等白色桐葉章に輝く。その後釜山、鎮海湾において船舶荷受問屋および米穀問屋を営み、傍ら瓦その他建築材料の販売をする。帰郷して大正6年推されて村会議員となる。以来3期連続議員を務め、政治的手腕を評価された。この間、大牟田市に於いて肥筑物産株式会社販売主任として就職。また肥筑窯業会社監査役、久保田商工運輸会社取締役および専務取締役、八阪九商計算会社監査役などに選任される。大正15年5月、佐賀米穀取引員を認可され、佐賀市赤松町に於いて仲買店を開業。
 製瓦事業は、明治7年の創業で九州でも老舗として、県内外に知られていた。大正8、9年頃の製造高は年間150万枚、売上高は当時の金で12万円にもなった。瓦の取引所は県内は勿論、長崎・熊本の各県、福岡県の門司・小倉・戸畑・八幡など、遠くは朝鮮半島の釜山、馬山、群山、木浦などまで取引をし繁忙を極めた。明治44年、福岡県地方大演習の際に明治天皇陛下の拝謁の栄に浴した。九州、沖縄八県連合共進会その他の博覧会において銀牌・銅牌などを受賞す。石炭・コークスの販売も兼業とした。享年85歳

出典:久保田町史 p.323〜p.324