高柳 快堂
高柳 快堂
■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1496
文政7年〜明治42年(1824〜1909)画家
久保田村の元小路の八田盛章の三男として出生。高柳権太郎の養子となる。外務大臣であった本野一郎の叔父である。通称文次、別名高致。鹿瀬老漁人・窪水漁夫と号す。佐賀の武富圯南に漢学・画法を学び、長崎の僧釈鉄翁に南画を学ぶ。また大阪の篠崎小竹および岡田天州に師事詩文を修め、後また中村竹洞・田能村直人に師事、心技ともに深まり南画の名家として並ぶ者が無かった。快堂は当時有田の白川に居住し、子弟の教育に勤める傍ら陶画を描き、山水・草花の妙を極めた。その頃、黒牟田製4尺の巨鉢に画いた染め付け龍虎は、筆力雄輝の名作と称賛された。明治33年皇太子殿下佐賀行啓の際、御前揮亳の光栄に浴した。また、京都南画学校の副校長を勤める。(長男豊三郎は名古屋商業学校長、後3代読売新聞社長となる。)享年85歳
出典:久保田町史 p.327