中島 松二郎
中島 松二郎
■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1499
明治8年〜昭和33年(1875〜1958)社会教育者
久保田村久富の中島松右衛門の長男として出生。
若い頃から英才の誉れ高く、俊敏で数理に明るく外柔内剛意志堅固、熟慮断行の人で、人に接しては必ず説得心服させる人徳を備えていた。藩の塾で漢学を学び、聖賢の道を会得し人の和則ち勧戒和平の基なりという信条を以て、ひたすらに地域社会の安寧と繁栄のために一心を傾け、日貫きによる蓄財法を考案したのは弱冠25歳の時であった。当時約130余戸の久富部落は村内最下位の貧弱な生活状況で、特に漁民は困苦その極に達し世相は賭博闘鶏等の悪風習跡を断たず。この更生の改善策は貯蓄奨励と飯米の確保に在りと、先輩諸兄と諮り東奔西走全戸加入が実現した。各戸日々1銭を貯金し必要に応じ組合員に貸し付け、借りやすく知らぬ間に返済できる社会共済金融機関である。貯蓄心が高まり悪習も自ら追放し一躍模範部落に変わった。昭和13年干拓地完成と共に24町歩の美田を取得し各戸に配布し、いわゆる半年飯米確保の目標を達成した。大正5年推されて村会議員となり26年間、自治教育に尽瘁した。産業組合の設立と共に専務理事となり、その発展に寄与す。久保田搦耕地整理組合の発起人となり、完成に至るまで献身的に奔走した。中島松二郎翁頌徳碑は久富の御髪社境内にある。墓は久富の寿慶寺にある。享年84歳
出典:久保田町史 p.330