内田 常吉郎
内田 常吉郎
■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1500
不詳〜明治42年(不詳〜1909)教育者
久保田町内田喜右ェ門の長男として出生。青少年教育に情熱を傾注した人である。
佐賀市水ヶ江にあった干城社は、明治18年干城学校となり、陸軍士官学校の進学予備校であったが、内田常吉郎は同校の英語教師であった。明治29年、佐賀市与賀町127番地に必習学館を設立、中学校・実業校進学希望者の予備校であった。学習内容は、読書・算数・作文・習字・漢文・英語・倫理で修業年限は1年で、生徒数は100人ほど、館主・館長も常吉郎であった。明治42年、常吉郎逝去のため廃校。その後弟の内田清一は、社会の進運に伴い女子教育の発展の必要を強調し、県知事の認可を得て同地に佐賀実科女学校を設立した。
大正7年(1918)には文部省認可の佐賀実科高等女学校となり、大正12年7月現在教員数28名、生徒数370名。大正13年4月、文部省認可の高等女学校となり、清和高等女学校として発足した。校主は内田清一、校長中島善之であった。
出典:久保田町史 p.331