山本重澄の70歳の時の子であり、万治2年(1659)6月10日に佐賀市片田江の横の小路の屋敷で(中ノ橋小路)で生まれた。
9歳で2代藩主、鍋島光茂の御側付けになる。その後、小々姓、御書物役、京都役を勤めた。
元禄13年(1700)藩主光茂の死去により出家した。
金立村黒土原の庵で1710年から鍋島論語とも言われる「葉隠」を田代陣基に口述した。
享保元年(1716)、葉隠全11巻が完成した。その4年後に常朝死去。享年61歳
誕生地記念碑が中ノ橋小路にある。
出典:佐賀市史下巻、葉隠の神髄(栗原荒野著)