旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)  一基

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旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)  一基

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■所在地佐賀市諸富町大字為重地先 佐賀市・大川市
■文化財指定状況国 重要文化財
■文化財指定日平成15年5月30日
■登録ID5341

旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)は、有明海に注ぐ筑後川河口より約8.5キロメートル上流に位置する昇開式の可動橋である。
旧筑後川橋梁は、国鉄佐賀線の鉄道橋梁として建設され、昭和10年(1935)竣工、同年5月25日に開業した。建設するにあたっては、位置的に筑後川の河口付近で、有明海の潮の干満の影響も直に受ける地理的条件があり、しかも、付近には港もあり、建設当時は船が主要交通機関であったため、大型船の往来も激しかった。通常の橋だと干満の影響で船が通れなくなってしまう可能性があったため、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になった。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。
橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。中央部分にある可動桁は、48トンの重量があり桁の左右にある高さ30メートルの吊上塔(鉄塔)には4本のガイドレールが走り、この上で滑車が回り機械室内の巻上装置を介してワイヤで23メートルの高さまで引き上げることができる。引き上げるときは可動部分と吊り合う重量の鋼鉄製のおもりを鉄塔からワイヤーで吊るし、巻上装置の負担を減らし、平衡ワイヤーにより左右のバランスをとり、強風にも耐える構造となっている。
国鉄の民営化を前に昭和62年(1987)3月27日限りで佐賀線は廃線となり、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも撤去勧告がなされ、解体も検討された。しかし地元では橋存続の要望が強く、平成8年(1996)に遊歩道として復活し、現在では大川市と佐賀市諸富町のシンボル的存在である。また、橋の両端には公園が整備されていて、現役当時の橋の姿のモニュメントや佐賀線に使われていた3灯式信号機や警報機などが保存されている。