鍋島直正肖像写真 6枚

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鍋島直正肖像写真 6枚

■所在地佐賀市松原二丁目 鍋島報效会
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日令和2年4月30日
■登録ID5437

本資料は、10代佐賀藩主鍋島直正を写した6枚の湿板ガラス写真である。それぞれ個別の木製ケースに納入されており、1点は左閉じのアメリカ製とみられ、その他5点は金属製の蝶番の付く右閉じである。6点とも揃って「御写真」と墨書された木箱に保管され、鍋島家春日御墓所(佐賀市大和町)の番宅座敷床の間に安置され伝来した。

6枚の写真は、被写体の活きた迫真性を帯びており、肖像画とは異なる写真の記録上の特性を窺わせるものである。

6点ともケースの蓋表に「御年四十六 安政六年己未年十一月於江戸溜池邸 藩醫川崎道民拝寫」と墨書された貼紙があり、撮影の年月と場所、撮影者を窺う手掛かりとなる。撮影者の川崎道民は佐賀藩士の医者で、貼紙に記される年月と同じ安政6年(1859)11月、鍋島直正は川崎を遣米使節の随行医師に加えるよう幕府に上申している。翌年、川崎は使節団に随行して渡米し、写真術を吸収して帰国したことが知られている。

佐賀藩では、嘉永5年(1852)に西洋の理科学分野の研究や製作を行う精煉方が鍋島直正の意思によって創設され、写真術の研究も行われたことが知られている。本資料の撮影者である川崎道民について、精煉方での写真術研究と積極的に結びつける研究はなく、撮影時期について貼紙の記述を裏付ける傍証資料は見出されていないが、撮影時期が川崎渡米前の安政6年(1859)、帰国後の文久元年(1861)頃のいずれにしても、本資料は我が国における写真術の実用化の様相や佐賀藩での受容などを知る上で数少ない黎明期の作例と位置づけられ、今後、歴史学や写真学をはじめ、服飾史など様々な分野で知見が得られることが期待されるもので価値が高い。

出典:佐賀県(指定文化財紹介)