国請寺跡 

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国請寺跡 

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■所在地佐賀市兵庫町若宮
■年代古代
■登録ID586

高僧行基菩薩の足跡は、九州各地に散在するが、聖武天皇の天平10年(738)筑紫国巡歴の途中、若宮村牟田の地に立ち寄った。この地を一国一寺の大伽藍の地と定め、自ら本尊観世音菩薩を彫刻してこれを祀り、天台宗国請寺を創建した。
しかし、中世頃から住僧がしばしば転住して、寺院は次第にさびれ、観音堂だけとなった。元和2年(1616)佐賀藩主鍋島勝茂は僧快舜に命じ、この寺院の再興を図らせたので、その後は代々住職も居付き、明治維新頃まで、牟田在住の鍋島安芸守の祈祷寺として管理されていたが、明治17年(1884)頃廃寺となった。

今は昔の面影はなく、境内も全く田んぼと化した。わずかに四周の堀と歩測100歩余りの参道があるが、境内はおよそ1町歩あったと記録に残っている。田んぼの中央に残っている墓地と火葬場跡付近が、本堂の跡ではなかろうかと言われている。

出典:兵庫町史p38

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