真崎仁六 日本鉛筆工業の創始者

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真崎仁六 日本鉛筆工業の創始者

■所在地佐賀市巨勢町
■年代近世
■登録ID669

鉛筆工業の創始者・真崎仁六は、嘉永元年1月13日(1848)巨勢村高尾に生まれた。18歳の時、維新の風雲に遭い、長崎留学で英語を学んだ後、東京に出て郷党の先輩大隈重信が後援する日本最初の貿易商である日本起立商工会社に勤務し、金属工場の技師長として明治9年のフィラデルフィア博覧会に、翌10年パリ万国博覧会に製品出品のため渡欧した。
この博覧会場で美しく陳列された種々の鉛筆を眼にした真崎は、その実用性に驚くと共に、日本での製造を固く心に誓った。帰朝後、多忙な勤務の余暇に研究と試作をくり返し、5年後、目的の芯を作りあげた。さらに、軸木材の研究、工業化するための機械の設計に苦心を重ね、明治20年成算を得て職を辞し、真崎鉛筆製造所を設立し、本邦初の鉛筆工業が誕生した。製造法研究、工場経営、販路の開拓など苦心を重ね、明治36年「三菱」の商標を登録した。明治40年東京博覧会2等賞銀牌、43年ロンドン日英大博覧会1等賞金牌、大正3年御即位記念博覧会1等賞金牌を授与された。創造する心、不屈の精神の持ち主の氏を先輩に持つことは、町民一同の誇りである。

出典:巨勢P.18