盲目堀(めくら堀※)物語 ※歴史的固有名詞であるためそのまま使用しています

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盲目堀(めくら堀※)物語 ※歴史的固有名詞であるためそのまま使用しています

■所在地佐賀市本庄町
■登録ID704

溝口と正里との畷の中央で、佐大職員宿舎の北にある東西の水路を盲目堀と言う。
その昔直茂公が幼少の時、千本松の館より飯盛の石井常延兵部大輔の館に通って夜学に励んでいた。ある夜帰り路に荒神盲僧さんが路傍の堀に落ちて溺死せんとしているのを直茂公は助け上げた。背負って館に帰り火を起こして暖め、食事など与えて介抱し元気になった盲僧を小城まで送って行った。
盲僧は直茂公の好意を非常に喜び、行脚のとき使っていた大事な筑前琵琶を割って米3升を炊き、直茂公にすすめた。そして盲僧が言うに「この米3升の飯を食べてしまうことが出来るならば、あなたは天下を治めるでしょう」と。直茂公は3升の飯を食いつくさんと努めたが、やっと1升の飯を食べることができた。盲僧はこれを見て「あなたは一州の主となるであろう」と予言した。
その後、果たして盲僧の言葉のごとく鍋島直茂公は肥前の太守になったので、その盲僧を肥前一帯の荒神盲僧の最高位の「発頭」となし、禄石を賜った。
鍋島清久公(直茂の祖父)が生前、ある大雪の夜、一盲僧が溝に落ちてまさに凍死せんとする処に通りかかって、清久公は、これを救いあげ館に連れて帰り、火を起し湯茶を汲み、衣類を与え食物を饗して慰めたので、盲目僧は泣声を発してその仁慈に感じ厚く礼を述べて去った。数年後、清久公が伊勢参宮の帰途京都に行った時、ふとある僧に会ったが、これが偶然にも先の年助けた盲目僧であった。彼は清久公に会って大変喜び、家に招待し饗応に努めたが、やがて一面の琵琶を携えて来て「この品は異国渡来の名品である。諺に唐朝の琵琶を焼いて其烱(ホノオガノボル)に当れば、子孫が必ず国を守ると、故にこれを焼いて、大君の恩に謝せん」と言って、自らこれを焼いた。

出典:かたりべの里本荘西分P.104本荘の歴史P.37