木彫彩色婦人坐像(観世音胎内仏一躯)
重要有形民俗文化財
川久保(佐賀市久保泉町)の邑主であった神代直長の娘、成姫は、本藩2代藩主鍋島光茂の養女となり、白石(しらいし)(三養基郡みやき町)の邑主鍋島直弘の嗣子鍋島直氏(又は直紹)に嫁したが、難産のため18歳(延宝4年〈1676〉8月10日)で死亡した。このため、直長は成姫のめい福を祈って慈音院を建立し、成姫の坐像を刻んで本尊観世音像の胎内に納めた。しかし、このことはいつしか忘れられていたが、明治年間に寺の裏山からの火災で、本尊を避難させたとき本尊の胎内に物音がしたので調べてみたら木像が安置されていた。これが成姫の像で、婦人坐像に彫像されており、現在は本尊とともに安産の仏として信仰されている。
製作の年代は、延宝4年(1676)以後1~2年問と推定される。像高は21センチメートルで、小さな人物像にすぎないが、県内には婦人像はほとんど他にその例がなく、江戸時代前期の若い武家婦人の風俗をそのまま伝えているものとして価値がある。