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[民俗・芸能][民俗芸能][巨勢校区]は2件登録されています。
民俗・芸能 民俗芸能 巨勢校区
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権現堂の浮立
権現堂にかつては玄蕃一流の浮立が伝承されていた。笛と太鼓の囃し浮立に合わせて踊る所作は民俗芸能の要素を濃厚に示している。 末次峯二家に相伝される『浮竜太鼓帳之巻』によると、「晝夜ニ限ス太鼓ヲ打ハ諸魔ヲ拂ヒ諸願ヲ成就スト」と記録され、悪魔払いの民間信仰の行事であることを物語っている。また、悪魔払いのほかに、五穀豊穣・てんぴ追い・雨乞いなどの時に、この浮立を舞うという伝承がある。 玄蕃一流の浮立を練習する時期は盆過ぎから部落の広場で夜になされていた。そして、巨勢神社の「おくんち」に12年に1回、お上り、お下りのときに浮立を舞って送迎し、奉納もしたものである。 浮立役者の役目・年齢層・行装・服装は、 1.笛…3〜4人(中老・青年)。黒足袋を履き、横笛1本を持つ。 2.大太鼓…一人(4代目の末次峯二氏に相伝されている。)わらじ・きゃはん・てんじく(天竺)を身につける。 3.大太鼓の助手…1人。ハッピ・わらじ・きゃはん・てんじくを身につける。 4.鉦……16人(30歳以上の男)。しゃぐまを被り、ハッピの黄の帯をしめ、きゃはん・わらじを身につける。 5.もりゃーあし(踊り子)…30人以上(子ども・娘)。紋付・ぞうり・花笠・小太鼓を身につける。 6.長老…二人。紋付を身につけ、お謡いをする。 7.さいりょ人(世話役)…13人。紋付を身につけ、ちょうちんを持つ。 などである。 浮立役者は権現さんの所に集まり、鉦-もりゃーあし-大太鼓-笛の順に並び道ゆきをする。そのときは、部落内の入り口のところで鉦を打つ。 巨勢神社へ奉納されるときは、「神の舞」として、てんじく(天竺)を頭に被り、「西方舞い」の「うしろ巻き」を太鼓に合わせながら、 そもそも浮立と申するは 古のころよりも 龍神祈る かしわ手に 打って祈れば龍神も ゆるぎ出でさせ 給ひける 東西南北の悪魔を払って 白酒の露をば 授け給ふ と、謡い終わると、直ちに笛の合図で踊る。 「神の舞」のタブーとしては、「てんじく(天竺)を頭にして、こざを祈って、昔は舞いそこなうと、ござ敷いて切腹せんばらん」とある。 末次峯二家を中心に伝承される玄蕃一流の浮立は、古くから農耕儀礼の系統が巨勢神社の降神儀式の芸能化であり神事芸能であったとみられ、民俗芸能としての価値を高めている。また、その芸能集団が権現堂の末次家を中心として存在したといえよう。
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東分下の浮立
この地区には郷土芸能としての花浮立が伝承されていて、巨勢神社のお下りの時の熊野神社と巨勢神社に奉納される。この浮立は正しくは神野の掘江神社の神主が始めたと言われ佐賀平野一帯に広がった玄蕃一流の浮立である。笛や太鼓と鐘の囃子に合わせて踊るものでこれに天衝舞と言われる独特の踊りがあり民俗芸能の姿をしている。 末次氏宅に伝わる浮立大太鼓陰之巻によると弘治元年(1556)山本玄蕃に始まり安永8年(1779)古賀次右衛門が当地区末次栄蔵に伝授したものであると記され、どんな理由でこの地区に取り入れたかは明らかではないが、この巻き物には大太鼓の打ち方などが記されている。また、その中に、「昼夜に限す太鼓を打つは諸魔を払い諸願を成就す」と記され、悪魔払いや五穀豊穣、てんぴ追い、雨乞いなどにこの浮立を舞うという伝承がある。 浮立の練習は13年に1度の巨勢神社のお下り当番の年に盆過ぎから地区の広場で夜行われ、巨勢神社お下りの日には地区の人々でこの浮立で送迎し、奉納をする習わしである。 浮立役者の役目と服装 1.鐘 約16人(中年の男) 法被に股引きで身を固め、黄色の帯をしめ、しゃぐまをかぶる。 2.笛 約4人(中老) 黒足袋をはき、横笛1本を持つ。 3.もりゃあし(踊り子 若者男女) 約20人〜30人 ぞうり、花笠、小太鼓、手甲、たすきを身につける。 4.大太鼓一人(末次家) わらじ、脚絆、天衝を身につける。 5.大太鼓の助手1人 法被、脚絆、わらじ、天衝を身につける。 6.さいりょう人(世話役) 数人 紋付きを身につけ、提灯を持つ。 当日、浮立役者は権現さんの所に集まり、鐘、もりゃあし、大太鼓、笛の順に並び道行きをする。 巨勢神社に奉納の時は、「神の舞」として、天衝を被り「西方舞」の「うしろ巻」を太鼓に合わせながら、「そもそも浮立と申するは、古のころよりも 竜神祈るかしわ手に 打って祈れば竜神も ゆるぎ出させ賜いける 東南西北の悪魔を払って白酒の露を授けたもう。」と謡い終わると笛の合図で踊る。 舞の曲は神の前、四方拝、道行き、高い山、豊年、世渡りなど十数目で曲の変わり目に「後ろ巻」のお謡をあげる。