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[自然][河川・水路][川副町]は2件登録されています。
自然 河川・水路 川副町
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筑後川下流の淡水取水地域における渇水の概要
謂われ・物語: 1、 筑後川下流の淡水(あわ)取水地域における平成6年7月濁水の概要 (佐賀県)平成6年7月29日 (1)気象及び渇水状況 1) 本年かんがい期の気象状況は、梅雨期から降雨が少なく、佐賀地方気象台における6月の降雨量は、183.5mmと平年の57%であった。その後も、7月5日に1mmの降雨が観測されたが、7日から24日まで18日間連続無降雨で、佐賀地方気象台の新記録となるなど非常に少雨な状況であった。 2)筑後川沿線のクリーク地帯は、農業用水のほとんどを筑後川の淡水に依存しているが、7月に入ってから筑後川の河川流量が減少傾向を示し、水管理に当たる農家は、昼夜の別なく潮間の淡水取水、かんがい用水の貯水確保及び節水に努めてきたが、7月12日以降淡水取水が不可能となった。 3)このため、農業用水の全量を淡水取水に依存する大詫間、大中島においては、クリーク貯水が底をつき、水田は白乾状態となった。 (2)地元要望と緊急放流 1)この渇水状況の中、地元農家では筑後川上流ダム群等から緊急放流を要望する声が起こり、7月19日に大詫間土地改良区及び諸富土地改良区から県に陳情があり、佐賀県渇水対策本部長である佐賀県知事は、九州地方建設局長に対し、緊急放流の要請を行ったところである。 2)これを受けて、九地建において筑後川渇水調整連絡委員会が7月22日に開催され、緊急放流について筑後大堰を活用する検討が開始された。九州地方建設局 (河川管理者)で検討された結果、筑後大堰を活用し7月26日10時から17時30分までに約90万㎥が放流された。 (3)緊急放流による取水状況 1)地元では、この緊急放流の水を効率よく取水するために、仮説ポンプの設置、サンドポンプ船の配置など万全の体制を整え、昼夜別なく淡水取水を行った。 2)この結果、7月26日午後から7月29日午前までの間に、大詫間地区で150,000㎥ 大中島地区で7,000㎥の淡水取水が行われ、水田の白乾状態は解消された。 なお、三丁分地区は、土地開発の進展により淡水取水されなかった。
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中島ぼり
現佐賀市役所川副支所庁舎の南側を東西に走る川幅約20数mの堀がある。この堀に沿って西へ咾分交差点を過ぎ、集落近くに来ると堀の中に竹林や雑木林の島が見える。私達はこの堀を通称「中島ぼり」と呼んでいる。東は幹線水路徳永線から、庁舎南側、咾分、小々森、波佐古、重久、久町に至る「ほり」は、丁度鹿江本村を囲むように連なっていて、1,500年代初め頃、築かれた大規模な堤唐跡と言われている。 現在、その景観を残している「中島」は 1 咾分東側・2 咾分より小々森への出口・3 2の道筋小々森の入り口・4 小々森と波佐古間・5 波佐古の出口付近のみである。 筑後川や嘉瀬川水系の大小河川の氾濫による大量の土砂と有明海の干潟や潮流による堆積作用は干潟化を促進した。自然の猛威への備えは、本土井・潟土井・潮土井からなっている。海側の潟土井が自然堆積で完全に干潟化するころには、その先の潮土井に、これまでの本土井の土砂を崩し、運搬し、より強固な堤唐とした。本土井は両側から深く削られ、灌漑排水の「ほり」として残ったものである。この「中島ぼり」は江戸時代から昭和最後の堤防(佐賀空港の南の地先)まで、佐賀県干拓史に記述されている以前の堤防の痕跡として貴重なものと考える。