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[諸富町][指定文化財 佐賀市 建造物]は3件登録されています。
諸富町 指定文化財 佐賀市 建造物
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六地蔵 二基
重要文化財
地蔵が六道を輪廻転生する衆生を救済するということから、六つの分身を考えて六地蔵として信仰することは平安時代末期に始まったといわれる。本県内に遺存する石像物を通してみる限り、地蔵尊は室町時代前期に現れ、後期に著しく造立されている。室町時代の地蔵信仰は造立銘より、その大部分は個人信仰であったことは明らかであるが、後期になると信仰を同じくする集団である講の発生を見るに至っている。 多聞院の六地蔵は、方柱形の二本継の竿石の上に中台をのせ、その上に尊体を安置し、宝珠のついた屋根形の笠石をのせた六地蔵の基本形式である。一般的には時代が下ると中台の側面の蓮華文が消滅する傾向がみられる。 195センチメートルの六地蔵には蓮華文が残っており、笠石は六角形である。また竿石には二体の半肉彫像が彫られている。 150センチメートルの六地蔵には蓮華文がなく、笠石も円形である為やや時代がくだる可能性がある。寺院の門前や墓地の入口に一般的に見られるようになったのが室町時代後期からであることから、そのころの造立と推定される。
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肥前鳥居 一基
重要文化財
肥前鳥居は、室町時代の末期から江戸時代初期にかけて多く造られた。その特色としては、笠木と島木が一体化していて、木鼻が流線形にのびている。笠木・島木・貫・柱の各部分が継材となっていて、原則的には、各部分が3本継ぎになっている。柱の下部に亀腹を設けず、柱の下部を削り出して、生け込みになっている。柱の上部には、台輪をつけ楔を設けないなどがあげられる。 若宮神社の肥前鳥居は、総高211センチメートル、笠木320センチメートル、貫290センチメートル、柱間の幅145センチメートルで銘文はないが、額は「若宮神社」と彫られている。 肥前鳥居の特徴である各部分の三本継ぎが柱には見られず、極端に低く貫下が153センチメートルしかない。亀腹が見られることから上部の二本が破損して低くなったという可能性がある。貫は事故のために破損したため、昭和58年に修復された。
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肥前鳥居 一基
重要文化財
肥前鳥居は肥前を中心として、その周辺の福岡県の一部などに分布している独特の構造と形式を有する石造鳥居である。特色として、島木と笠木が一体化していて、木鼻が流線型に伸びていること。笠木・島木・貫・柱の各部分が継材となっていて、原則的には各部分が三本継ぎになっていることなどがある。 新北神社の参道には4本の鳥居があり、この肥前鳥居は神門の前に立つ。額は「新北大明神」とあり、慶長13年(1608)佐賀藩祖鍋島直茂の奉献になるもので、高さ3.80メートル、笠木の長さ4.25メートルである。