江口 六蔵
江口 六蔵
■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1473
文政6年〜明治23年(1823〜1890)政治家
久保田町の快万に生まれ、思斉館に学びのち同館の都検を勤める。快万寺子屋を経営、庶民教育に尽力した。明治11年(1878)長崎県管轄下の頃、佐賀郡選出の長崎県議会の議員となる。明治12年長崎県臨時県議会で副議長となる。(議長は小城郡選出の松田正久)明治13年7月県議会議員を辞任、同年同月2代目杵島郡郡長に就任。明治16年5月9日、佐賀県が長崎県の管轄から独立し佐賀県議会が発足すると、同年7月から翌年4月まで佐賀県議会議員に選ばれた。
明治15年2月には九州民憲党委員。同年5月、九州改進党肥前部会の本部常任委員および規則審議会の議長に推された。明治22年(1889)4月、町村制施行により久保田、徳万、新田、久富の4ヵ村が合併して久保田村を設置、江口六蔵が久保田村初代村長となった。墓碑は上恒安の龍顔寺内にある。享年69歳
出典:久保田町史 p.304