石川 又八

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石川 又八

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■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1477

明治10年〜昭和10年(1877〜1935)政治家
 久保田村久保田宿、石川謙助の長男として出生。大阪市立高等商業学校卒業。明治36年頃、農業改良に熱意を傾注し、正条田植奨励のリーダーとして活躍。村内の篤農家を中心に晩生稲一本化の時代を力説、大正2年の全国5石収穫懸賞会でその成果が認められ入選した。同年9月12代久保田村長に就任。佐賀郡会議員に連続当選、大正3年10月郡会議長となる。佐賀県議会議員2回当選。同7年、昭和7年佐賀県選出衆議院議員に2回当選、国政の場でも活躍した。日露戦争に従軍、功により従七位勲五等功五級、陸軍歩兵中尉。農業を営み、佐賀県農工銀行取締役。その他、古賀銀行・窓乃梅酒造株式会社取締役。日宇土地株式会社・田中丸呉服店監査役を兼任、実業界の重責を担った昭和2年、大立野の魚問屋を株式会社石川魚市場に改組。同3年、久保田搦耕地整理組合、初代組合長となり、面積228町の干拓工事に尽力した。西肥板紙株式会社の創立発起人の1人である。墓・頌徳碑は久保田町小路の妙鎮寺の境内にある。書は鳩山一郎、撰文は学習院教授太田保一郎。享年58歳

出典:久保田町史 p.307