村田 隆長
村田 隆長
■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1482
明治32年〜昭和43年(1899〜1968)政治家
久保田邑主の末商、父虎吉郎の二男として久保田村徳万にて出生。東京高千穂中学校卒、明治大学法科予科2年終了後、大正15年(1926)2月、佐賀百六銀行取締役に就任。戸上電気顧問、秋田製鋼次長等を歴任。昭和21年(1946)4月、20代久保田村長に就任、翌年公選で同村長に当選した。昭和26年4月再選、その後昭和42年(1967)3月まで、20年間の長きに亘り村長を勤め、同年4月町制施行により、4月1ヵ月間初代町長に就任した。
その間、終戦後の占領軍対策に奔走し、村民の精神的な動揺を鎮め、物資欠乏の時代を食料増産運動で、村民の奮起を促した。昭和24年の大水害では、村をあげての復旧事業に奔走し、特に嘉瀬川改修工事の必要性を県や国に陳情工事の完成に尽力した。昭和32年には久保田村新田に役場の新庁舎を建設。思斉小学校の校舎建築も推進した。村長としての永年の功績が認められ、昭和41年1月全国町村会会長の表彰を受ける。昭和43年1月、地方自治施行20周年記念知事表彰を受彰した。家庭裁判所参与兼調停員、佐賀簡易裁判所司法委員も兼ね、同所功労賞を授与される。菩提寺は元小路の大雲寺である。享年68歳
出典:久保田町史 p.312