堤 治之
堤 治之
■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1485
明治11年〜昭和8年(1878〜1933)実業家
本庄村の内田清秀の三男として出生。久保田村の豪農といわれた、堤善太郎の養子となる。幼い頃から学問を好み郷里の小学校を卒業後、東京の中学校に入学、さらに私立大学の名門校慶応大学に進学、将来を実業界に志しその道を研鑽するため、横浜の日本生糸貿易株式会社に就職した。入社後は自分の才能を発揮し、期待される社員であった。
明治33年家庭の事情により同社を退社、帰郷して家業に専念したが、やがてその手腕を認められ地方実業界に活躍することになる。横浜より帰郷したのちは地方財界に貢献すると共に、推されて佐賀信託株式会社の取締役に就任し、同社の発展に尽力した。その後、大正5年7月には、福岡市上土居町に一族を出資者に加え、資本金30万円を投じて堤信託株式会社を設立し、自ら社長となり複雑多岐な2大事業の経営を着々とすすめ、九州に信託事業を展開した。その事業の内容は庶民銀行の性質を有する、中産階級以下に必要な一種の金融機関であった。佐賀県下で最も早くこの事業の有望なことに着目し、同志を糾合し創業した斯界の先覚者であり、県内1〜2といわれた多額納税者であった。享年56歳
出典:久保田町史 p.315