庚申塔

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■所在地佐賀市大和町
■登録ID2203

 町内の庚申塔には自然石や自然石に「庚申」「庚申尊天」「猿田彦」「青面金剛尊天」等の文字だけのものが多く、中には青面金剛の像を彫り込んだ石神も見かける。庚申の日の晩に、人間の体内に住む三尸という虫が、人間の寝静まるのを待ち、体から抜け出して天に昇り、天帝にその人間の罪状を逐一報告する。天帝はその報告に基づいて様々の罰を与えるという。庚申の日が60日ごとに来るのでこの晩は庚申の祭をして飲食をしながら徹夜して談笑し、三尸が体から抜け出ないようにするという習わしである。庚申祭は奈良時代貴族間に始まり、鎌倉時代には武家社会にも取入れられ、江戸時代にはこの信仰が農村のすみずみまで行き渡り、このころから庚申塔が建て始められたという。
 当町桟敷の猿田彦神社は庚申を主神とした社である。庚申の申と猿田彦の猿を結びつけてのことらしく、所によっては申田彦とも書き、又青面金剛を猿田彦そのものと考えている所もある。青面金剛の神像を彫刻した石像は町内各所に見かけるが、池上のは邪鬼を踏みつけた姿をしており、大久保弁財天社内のは一面六臂の青面金剛で台座に一猿が刻まれている。いずれも町内では珍らしい石神である。庚申造立の趣旨の多くは「息災延命」「二世安楽」と記されているが、悪神の進入を防ぐ塞神として村外れに建てられていたものが、後に社寺等に移されたようである。北原地区の三社権現にある三面六臂の青面金剛尊天(文化12年=1815)もその1つであろう。

※写真は大久保弁財天社(天満社)敷地内の庚申塔。経年劣化のため、現在は猿の線刻は見えない。

出典:大和町史P.571〜572