室園橋

室園橋

  • 室園橋
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■所在地佐賀市今宿町
■年代近代
■登録ID2429

 もとの室園遊郭(今宿遊郭)の北入口と西入口に同名の橋が2つある。北の橋の欄干には、真松楼、酔月楼、三浦屋、三玉楼、丸吉楼、太平楼などの楼名が刻まれている。この2つの橋は室園遊郭組合の手で大正9年に造られた小さな石橋である。
 遊郭で貸座敷業が始まったのは明治21年(1888)。佐賀市上芦町(高木町)は、明治17年開庁した県庁に近いため職員の風紀が乱れるとして営業廃止された。江湖端の材木町や今宿町では、廃止されると荷揚げ船の活気を減ずると異議を唱えたため、室園の地に移転し復活した。8月15日夜の今宿の精霊流しの時は、遊郭からも豪華な精霊船が出され、これを見るまで見物人は帰らなかったという。
 郭の女は室園橋を渡って外に出ることは許されず、請願派出所で目を光らせた。西の室園橋を渡るのは近くの県立治療院で行われる花柳病検査のときと、身請けされて郭を去るときに限られた。
 欄干には以下のように刻まれている。
(北東)むろそのはし」山遊楼」丸吉」三玉楼
(北中)一楽」明月支店」鶴明楼
(北西)赤星」太平楼」大正七年七月新工
(南西)室園橋」涼野」常盤屋」明月本店
(南中)酔月楼」三浦□(屋)」若□(治)□(屋)
(南東)□(真)松楼」萬春楼」三星楼」大正九年七月竣功
 この遊郭は明治中期頃からこの地に集中して歓楽街ができた。昭和10年頃には数十軒をこえる遊郭があり、遊女も百数十人を越える盛況であったといわれている。また、室園橋は、今宿へ出稼ぎする女の橋でもあり、故郷を遠く離れて働きに出る女性たちの賃金は安く、労働は過酷で、場合によっては帰らざる橋でもあった。

出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P40 「佐賀市の川と橋」(佐賀市建設部監理課、平成5年2月発行) 「佐賀市史第4巻」(昭和54年)