室園遊廓の跡

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室園遊廓の跡

■所在地佐賀市
■年代近代
■登録ID2562

この室園遊廓のあったところは、佐賀藩唯一の河港があったところで、有明海から筑後川をさかのぼり佐賀江を通って今宿に至るもので、物資の流通と人の交流が盛んで商業が盛んなところでした。
室園遊廓には、北の方からと東西からの入り口がありますが、北と西には昔ながらの石橋がかかっていて、その欄干には遊廓の名前の屋号が刻まれていて、かつてここが遊廓として大変賑わっていた昔の面影を、彷彿として今にして思い出させる歴史の一端を残しています。
 この遊廓は、明治中頃からここに集中して歓楽街ができたと云われていますが、昭和初年頃には12軒の遊廓があったとのことです。大正4年には約150人の女の人がいて年間2万8千人くらいの客で賑わったと云われています。
大正後半から昭和初年にかけて、病に罹患する青年が多くなったので、昭和3年9月1日から病気の予防取締法が実施され、多くの論議を呼びました。
また、武雄町では遊廓から集団で抜け出し、佐賀の『佐賀婦人矯風会』に保護を求め大きく問題化したこともありました。昭和31年婦人団体などを中心とした世論の力で売春防止法が成立し、昭和33年(1958) 3月までに転廃業し、公娼制度に終止符が打たれました。現在でも当時の面影を残す旧楼の建物が数軒残っています。

出典:循誘  史跡探訪 歩こう会(P.8)