蓮成寺

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■所在地佐賀市鍋島2丁目19-1(木角)
■年代近世
■登録ID2602

 江戸時代初期の頃、三日月村居住領主杉町備中守が仏門に帰依して、一宇をたて後鍋島町木角に移転して今日に至った。記録によれば、2代藩主光茂の妹が備中守の内室であった関係で、延宝3年(1675)8月光茂は両者の為に堂宇を改築し、境内を拡張して田畑を寄進し寺格を改めた。同寺の門前には一万部塔、二万部塔の経碑がある。読誦者は知正院日専上人である。
 なお桓武天皇の皇子葛原親王の遠孫、千葉介常胤が江藤新平家の先祖である。この常胤のとき源頼朝から九州探題を命ぜられたが、小城郡晴気に赴任し、のちに鍋島村木角に住み、蓮成寺には祖先より14代までの墓地がある。江藤新平は佐賀戦争の主魁として土佐甲の浦で捕えられ、明治7年4月13日佐賀城内で処刑された。3日後江藤の遺体は首と共に親友相良宗蔵が貰いさげを受け、竹で胴をつなぎ蓮成寺に移した。古老の談によれば、彼の遺徳を偲び参詣人が続き、南の堀端から賽銭をなげたのが毎日叺に入れる程多額であったという。警察では何と思ったか、参詣人を追い払ったので人々はその横暴に憤慨していたそうである。

出典:鍋島町史p.157〜158

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