中島哀浪

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中島哀浪

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■所在地佐賀市久保泉町
■登録ID2962

(1883〜1966)
 「佐賀は文学不毛の地」との評は、佐賀の人が中央で華やかな活動をしなかっただけで、豊かな文学風土は長い間、先人達によってはぐくまれてきた。むしろ維新前後の沢山の英傑や戦時中の軍人の影に隠れて、皆が気付いていないに過ぎない。
 ここでは、われわれに最も身近な1人、郷土が誇る歌人中島哀浪を取りあげる。哀浪は北原白秋・若山牧水と並ぶ九州三大歌人の1人で、久保泉で生まれ育ち、佐賀を離れず郷土を格調高く詠み続け、自ら好んだ郷土の清らかな泉の上『坐泉堂』で息を引き取った。
 1万を越す詠草・詩・随筆、50有余の校歌の作詞、特に郷土の名物きゃら柿の歌200首は「柿の歌人」と言われ、豊かな人情味あふれる独特の風韻は「哀浪調」として、日本歌壇にその名を残した。
 彼の佐賀中学時代、同級の高田保馬(後の経済・文学博士)佐賀画壇の統帥山口亮一、一級下の下村湖人(次郎物語の作者)などと文学グループを作り、中央歌誌に投稿を初めた。また白秋や牧水とは、早稲田大学で同じ下宿に起居した。
 歌誌「ひのくに」の創刊から、もう70年を越した。
 彼の代表作   柿もぐと木にのぼりたる日和なり
             はろばろとして脊振山みゆ
の歌碑は彼の菩提寺妙福寺入り口に建っている。これは「敗戦後の郷土に、文化の灯を」と乞い願う村の青年団や文化団体いずみ会が、「ひのくに」の協賛を得て昭和23年10月に建てたものである。
 宮分の蛍橋のたもとの「坐泉堂」は昭和27年古稀記念に子弟や平野建設から贈られたものがあるが、今は無い。
 平成2年、令息草市潤編の『中島哀浪全歌集』は、約1万の短歌を収録し、年譜・初句索引を付す貴重な図書。

出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.42〜43