八戸城跡

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■所在地佐賀市八戸一丁目
■登録ID453

 八戸1丁目にある龍雲寺一帯は、室町時代八戸一帯に勢力を誇っていた豪族於保氏(のち八戸氏と改める)の居館跡である。
 於保氏は鎌倉時代から戦国時代にかけての武将である。高木宗家の弟益田家綱の子、宗益が佐嘉郡於保(現在佐賀市大和町)に住し、子孫もこの地に居住したため於保氏と称した。宗益の子宗高は京都大番役を勤め、その子種宗も肥前国執行職についており、鎌倉幕府の御家人として、文治年間(1185〜1190)ごろより於保地頭職を継承したといわれる。
 「北肥戦誌」によれば、於保弥五郎弼宗(すけむね)は南北朝期、筑後川の合戦で少弐方に立ち、菊池武光の軍と戦った。
 さらに4代の後、宗繁の兄弟胤宗は龍造寺家兼の娘婿となった。また、同兄弟宗貞は、これより分かれて八戸氏と称した。
 龍雲寺は、もと慶聚寺といって、大永元年(1521)八戸胤宗が建立したもので、城は三重の城濠で囲まれていたと言われる。
 八戸家最後の主宗暘が龍造寺隆信との戦いに敗退して城はなくなり、寺は天文元年(1532)龍造寺家重によって龍雲寺として再建されたが、城濠の面影はなくなっている。
 「葉隠」の口述者山本常朝は、八戸氏の後裔として当寺を菩提寺とした。その墓碑も当寺にある。

出典:日新読本(P.224)