今宿橋

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■所在地佐賀市今宿町
■登録ID512

 紺屋町と今宿町との境にある橋である。紺屋町の橋東には、昔からの火見櫓が戦後まで建っていた。その後取壊されてしまった。また、その東の東田代町にはお堂があり、その中には大きな石の地蔵さんがある。八戸町の地蔵さんは有名であるが、それと余り変わらないようである。
 また、橋の南の今宿町には大衆風呂の銭湯があったが、各家庭に風呂が普及し、時代とともに廃業された。明治時代の今宿町の繁栄振りの一端を、佐賀新聞記事から抜き書きしてみると次のとおりである。             
 明治18年 佐賀郡西今宿の前田繁太郎は、同所で蒸気器械精米所を開業。
 明治21年 材木町の仁戸田栄太ら4人が下今宿町33に共成社の設立を佐賀郡役所に願い出る。
       資本金3,000円、米穀等の売買、貯蔵、保管、貨物運送。 
 明治22年 下今宿町に、小城郡多久村からの石炭船、長崎県諌早から唐芋船、
       福岡県から木炭船がそれぞれ入船。
       福岡県から下今宿町船場に五島からの石炭船が入る。
 明治23年 船の出入り数(2月)今宿は入り船271艚出船281艚下今宿町、与賀町に巡査派出所が
       完成し、近く落成式を行う予定。佐賀郡の牛島〜八田村間の河川工事で下今宿町の船問屋
       が、海水を止められ営業できないと県庁へ嘆願、23日佐賀市助役と県土木課属が現地を
       視察した結果、県は工事期間中、費用100円で仮掘りの設置を決める。
 明治25年柳町の煙草業者森永作平の今宿支店は、24年7月から25年6月まで、豊後、鹿児島産の
       煙草葉3,500余表を販売。
 明治29年大島貞七、牛島平造、吉田清吉の3人は共同で佐賀郡今宿に佐賀石油(資)を設立。

出典:ふるさと循誘(P.179)

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