武家屋敷の門 一棟

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武家屋敷の門 一棟

  • 武家屋敷の門 一棟

■所在地佐賀市水ヶ江二丁目 佐賀市
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日昭和54年3月1日
■登録ID5151

元来、門は出入りする者の身分によって格式があり、上位から四脚門、棟(むな)門、唐門、上土(あげつち)門、薬医(やくい)門、平門、冠木(かぶき)門等の順に定められていた。
この門は、元鍋島家の家臣水町氏の屋敷門として、多良の名工、託田の番匠の手によって建築されたと伝えられている3間1尺の薬医門である。
もともと、薬医門は医師の門として使われたもので、病人の出入りを妨げないように門扉はなかったらしく、後に公家、武家の屋敷等に使われるようになってからつけるようになった。
四角な本柱4本を前方に、控柱2本を後方に立て、その上に切妻屋根を置く。側面から見ると、棟は本柱の真上より後方にずれているのが薬医門の特色である。屋根は本瓦葺で破風には、かぶら、懸魚(げぎょ)その両側に鰭(ひれ)が装飾されている。
軒裏は、棰(たるき)、野地板とも化粧に仕上げられ、裏側の一部には鏡板の軒天井が張られていて、肘木の先端には繰形彫刻が施されている。扉は両開板戸が吊ってあるが、これは後になって取り換えられたもので、当初は引き分けの板戸が建て込まれていた。なお、平成20年度の解体修理で、扉は引き戸に戻した。
用材はすべて欅(けやき)が使われている。建設年代は不明であるが、構造形式から江戸後期と推定される。永い期間風雨にさらされ、本柱や控柱の脚廻りの損傷が処々にみられる。しかし、屋根瓦は幾度か葺き替えられたらしく、棰や野地板の損傷はほとんどなく、普段の管理が行き届いているので脚部を除いた小屋組、軸組材はほぼ原形のまま保存されている。
昭和45年の道路拡幅の折、3メートルほど東へ移設されている。
桃山、江戸と時代が変わるにつれて建築方法も華美に流れていく中で、特に質素を旨とした当時の佐賀藩の気風を表現したこの門は、簡素で均整のとれた風格を備えた武家門として価値が高いものである。