大宝山精金禅寺と定光寺

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大宝山精金禅寺と定光寺

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■所在地佐賀市大財3-4-15
■登録ID5372

 臨済宗南禅寺派の禅宗寺院である精金禅寺は、江戸期には臨済宗水上山一派万寿禅寺を本山とする寺院で、初代藩主鍋島勝茂などとの深い繋がりを持つ寺院でした。
 「寺社差出済家宗由緒」(『佐賀県近世史料』第10編第2巻)によると「佐賀郡大宝村、一、御免許敷地弐段六畝拾九歩、山号無シ、精金庵」「当寺開山芳隣和尚、事蹟不詳、中興天如和尚」とあり、元は山号のない庵であったことがわかります。
 現在の寺域には、参道入口の左側に享保17年(1732)刻銘の六地蔵菩薩右側に地蔵菩薩座像があり、歴史を感じさせる山門をくぐった左側には正徳元年(1711)刻銘の正観音菩薩像、正徳3年(1713)と正徳5年(1715)刻銘の如意輪観世音菩薩像の他、地蔵菩薩立像等が造立されていいます。
 なお、精金禅寺は、同じく大宝村にあった定光寺を統合し、大宝山の山号を使用したものと思われます。
 定光寺は精金禅寺の南方にあったとされ、「寺社差出 済家宗由緒」(前掲)によると、「佐賀郡大宝村之内、一、御免許敷地壱段四畝壱歩、大宝山定光寺」「当寺由緒ハ、永暦元年(1160)庚辰正月三日、渋谷金王丸定光、主君義朝落命之砌、討死と称し此所ニ忍ひ下り、伝教大師一刀三礼之薬師尊像を携来、当寺開山全山大和尚ニ語り三七日祈る、此地ニ瑞現ある故、御堂を建立して安置ス、于時応保弐年(1162)壬午八月也」とあり、応保二年の開山とされています。

出典:豊福英二氏(郷土史の調査研究)

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