下村運之助
下村運之助
■所在地佐賀市兵庫町
■年代近代
■登録ID577
下渕、下村竹一家の家紋は唐松の芯である。下村生運の第3子、下村利充に始まるこの家紋から、下村利充家の末裔と考えられるが、分家の年代など不明である。下村竹一の祖父である運之助は宮本武蔵の二刀流の流派を伝え、その免許皆伝を得ている。この免許皆伝の巻物は竹一氏が所蔵している。だいたい一国一名に代々伝えられているので、運之助以後は、この二刀流の免許皆伝を得た者はいない。
ついでに本町出身の武道家をあげよう。
剣道:本告寅吉(稗蒔)蓮池藩師範、本村健吉(立野)台湾警察四段錬士、松永万太郎(傍示野)六段
柔道:宮崎八郎(若宮)六段(昭和13年当時、県有段者会長)、大島治喜太師範
明治20年、伊賀屋に生まれた。佐賀中学を経て京都武専を卒業し、明治43年警視庁に奉職した。その後剣道に精進し、当時この道の第一人者で、大御所であった中山博道範士に次ぐ実力者と称され、居合九段、範士として警視庁の師範となった。昭和20年逝去された。
出典:兵庫町史p222