小林鍵次郎

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小林鍵次郎

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■所在地佐賀市兵庫町
■登録ID580

氏は中野吉で、真島貞二郎の二男に生まれ、9歳の時父親に死別した。7人の幼児を抱えた母の悲壮な姿が忘れられないという。進学をあきらめた氏は、高等小学校卒業後農業を手伝ったが、通信教育を受けて勉学を怠らなかった。大正7年、福岡の簿記学校に学び、40人中5人の採用試験に合格して当時の福岡銀行に入社した。
大正10年、日本の大不況に不安を感じた氏は、どんな辛苦をなめても学識を広め、事業を起し身を立てようと決意した。氏は銀行をやめて上京し、東京神田紺屋町の境野香料店に就職した。会計係を勤めながら、日本大学商科夜間部に入学、大正14年3月卒業し、同年4月日本橋四丁目薬品商小林鍵次郎の養子となった。
昭和14年、香料商を独立開業し、薬品商を廃業した。開業当初は天然香料の産地調査、成分、調合香料の研究に没頭し、販路の拡張など人知れぬ苦心と努力をかさねた。
昭和25年、養父の遺志を継いで2代目小林鍵次郎を襲名した。昭和48年、日本橋本町に8階建のビルを改築して本社を置き、別に株式会社小林香料化学研究所、小林不動産株式会社を設立経営している。氏もまた郷土が産んだ立志伝中の一人である。
昭和9年5月、東京香料商組合理事に就任以来同会の理事、相談役を勤め、その他各種団体、地域公共の役員に推挙され、功労者として幾多の褒賞を受けたが、昭和45年に勲五等双光旭日章を授与された。
氏の長男は東京大学を卒業後、フランスソルボンヌ大学に2年留学後現在東京大学の教授である。他の2子もそれぞれ立教大学経済学部、学習院大学経済学部を卒業し同社の専務、取締役として活躍されている。
氏は郷土を思う情に厚く、小、中学には二宮金次郎の銅像、グランドピアノ、放送機具、体育館の引幕などを寄贈され、またプール建設や図書館移転拡充の時にも多額の寄付をされている。兵庫農協が資金に窮した際に相当の資金を融通してその再建に貢献された。中野吉の地区公民館の完成は主として小林氏の寄付によるもので、地区住民は深くこれを感謝し、公民館の敷地に氏の表彰碑を建立した。

出典:兵庫町史p224

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