西中野の郷士、中野庄四郎
西中野の郷士、中野庄四郎
■所在地佐賀市兵庫町
■年代近世
■登録ID583
天正2年(1574)、龍造寺隆信の跡継ぎ政家御一家並びに御家中、幕下知行付によると、
一、102町 中野庄四郎 佐嘉郡古瀬中野郷士とある。
佐賀には中野姓が両統あって、この中野庄四郎は、古瀬郷中野村の城主中野杢助一統の祖である。他の一統は中野神右衛門といい、武雄のわかれで西目の中野(武雄市朝日町字中野)の城主である。
中野庄四郎の子孫に良純という人があるが、鍋島勝茂の寵愛が厚く6組頭から御年寄役に進み、明暦3年(1657)、勝茂が江戸で逝去の時、哀悼のあまり当日麻布の大泉寺で殉死した。時に45歳であった。
出典:兵庫町史p64