老松神社の一の鳥居に彫られた銘の終りに、「延宝七歳春日、鎮西肥前州佐嘉郡巨勢荘真崎村、大檀主神代左京太夫物部氏直良」とある。元来神代氏の知行は久保泉村から西郷、境野にかけてあったが、巨勢荘真崎村とあるから真崎村にも知行があったと思われる。
真崎村は現在の若宮と推察される。若宮には神代方の豪勇、西村惣衛門がいたが、神代方勇士の末孫の方々が居住されていたことからも考えられる。某記録に残る真崎屋敷は今の若宮六丁野、宮の前松永宅の西側にある一角の田(公門氏所有)と言い伝えられる。
出典:兵庫町史p231