日軌上人と華道
日軌上人と華道
■所在地佐賀市本庄町
■登録ID884
佐賀の去風流の生花は上飯盛の常照院第17世日軌上人が、まだ嘉瀬町妙福寺にいたころ、京都にて去風流家元第2世、蘭皐舎子來師について奥義を極め、家元の第3世を受け継いで帰佐し、去風の生花を佐賀に広めた。
この日軌上人が去風流家元第3世、花兮庵寒崖(カケイアンカンガイ)で、佐賀における去風流の祖である。
寒崖は佐賀に帰ってから、各所で花会など開いて大いに流布に努めたが、その花風は上下の称賛を得て、8代藩主治茂の傾倒するところとなる。従って、去風流は、たちまちお国流となって明治時代まで伝承されたのである。
出典:かたりべの里本荘鹿子P.10本荘の歴史P.67