成富兵庫誕生地

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■所在地佐賀市鍋島町大字鍋島(増田)
■登録ID2616

 成富兵庫茂安は、永禄3年佐賀藩士成富甲斐守信種の第二子として、鍋島村増田(益田)百石に生まれた。増田地区の東北隅嘉瀬川堤防の中腹に誕生記念碑がある。茂安は資性勇武智慮深く、17歳のとき初陣に功を立てたのを初めとし、寛永18年(1641)病没するまで75年間今山戦はじめ大小幾十度の戦に従い武勲を顕した。後半は築城(熊本、江戸、大阪、名古屋)、土木、治水、干拓、塩田に精励し、民生事業に妙技を発揮し、藩財政を豊かにし余慶を後世に残した。東は筑後川堤防から西は伊万里海岸まで、佐賀平野各地に茂安の徳をたたえる記念碑や社がある。

出典:鍋島町史p.152

石井樋について
石井樋は、嘉瀬川から多布施川へ水を分ける取水施設で、治水の神様といわれた成富兵庫茂安の指導により、元和年間(1615~1624)に造られたとされる。取り入れられた水は佐賀城下の生活用水や農業用水として使われ、石井樋には、土砂の混じった川の水を象の鼻、天狗の鼻など石で作られた施設を組み合わせて土砂を沈め、きれいな水にする工夫がされたり、流域の水害を防ぐはたらきも持ちあわせている。
しかし、昭和35年(1960)嘉瀬川上流に川上頭首工が造られ、石井樋の役目はいったん終わったが、平成5年より調査・発掘・保存などを行ない、平成17年に現在の石井樋が復元された。
また、石井樋のある石井樋公園内には、「石井樋のすべて」、「成富兵庫茂安の生涯」、「佐賀平野の水」をテーマに学べる資料館である、「さが水ものがたり館」が平成17年12月4日に開館しており、石井樋の機能などを映像や模型を使って紹介されている。

出典:石井樋公園さが水ものがたり館パンフットさが水ものがたり館ホームページ

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