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[民俗・芸能][行事][新栄校区]は4件登録されています。
民俗・芸能 行事 新栄校区
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お日待ち
八戸では、この行事を毎年1月23日と12月23日の夜から青年行事の一つとして行ってきた。昭和15年生まれの青年までかかわり合って昭和30年代後半まで行われていたが、青年会員の減少により自滅してしまったのは残念である。 1月の「お日待ち」は、農作物に対して「天照り」(太陽)が程よく照り輝き豊作するよう祈りをこめる。12月は、豊作に感謝を捧げるお礼の祭りであった。 その日、餅をつき氏神様にお供えした後、お神酒をいただき、お供え餅でぜんざいを食べ、その夜は青年会場に合宿し、農作や、よも山話をしながら寝につき日の出を待つ。午前5時起床。約1㎞の所にある大坪という泳ぎ場まで素足で霜や氷をついて走り、フンドシで寒中水泳(みそぎ)をし、身を清め氏神様、まわりの神様に祈りを捧げ、感謝をこめる行事であった。 佐賀平野の農家の行事で、稲刈りが済み収穫の感謝を込めて、農作物に一番大事な、お天道さん(太陽)に感謝するお祭りで、農家は農作業を行う上で、雨が降り続けば「雨ばっかり降って」と言い、また反対に日照りが続けば、「雨は何時降っちゃろうかー、天道さん(太陽)の恨めしかー」等と言って、天気に対し一年中不平、我侭な事ばかり言っているので今日一日は、てんとうさん(太陽)を休ませて感謝をするお祭りです。
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お念仏
深町では、彼岸から彼岸まで天神社で鉦をたたいて毎日安全無病息災祈願が隣から隣に順番制で行われていた。
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春分の日・秋分の日
八戸では、戦死者の墓に毎年春分の日と秋分の日、婦人会で手わけして墓そうじと墓参りをしていた。平成19年頃までは遍路さん接待とかねてやっていた。現在、春分の日には校区内および旧八戸地区で戦死された方々の戦没者慰霊祭を又、秋分の日には旧八戸地区で初盆を終えた物故者への慰霊祭を三ヶ寺持回りで実施している。
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お篭り(水祭り)
与止日女神社参り(八朔参り)のあった夕方に各家庭で沢山の料理を作り各家庭で三々五々権現社に集まり会食が行われ、夜遅くまで語り合い隣近所の親睦会が行われていた。 戦争が烈しくなり食料も不自由になり参加者が減少し自然と廃止になった。 現在は、毎年9月の第2日曜日に地区の代表数人が、水の恩恵に感謝するため与止日女神社に参拝後、地域の方々が五龍神社に参拝し、水祭りの行事が行われている。