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[自然][樹木・花][嘉瀬校区]は17件登録されています。
自然 樹木・花 嘉瀬校区
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シチメンソウ
嘉瀬町では嘉瀬川河口と本庄江河口に生育しているが、ウラギクやヨシ、ヒロハマツナなどと混生していることが多い。 昭和62年5月に昭和天皇が全国植樹祭に行幸された折、東与賀大授搦地先のシチメンソウを御覧になってから、急に脚光を浴びるようになった。アカザ科の塩性植物で葉をかめば、塩分を含んでいることがわかる。葉は棍棒状で横断面が円形。若い時から部分的に淡紅紫色や淡緑色をしており、秋になると全株が鮮かに紅葉して美しい。12月になると種子を落として枯れる。有明海北部の河口や干拓地先で、満水の時に冠水し干潮に潟地になるようなところに群落をつくっている。 全国的に生育地が限られていて環境省の絶滅危惧Ⅱ類種に指定されており、佐賀県でも絶滅危惧Ⅱ類種に指定され保護の対象となっている。
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ヒロハマツナ
嘉瀬町では嘉瀬川と本庄江湖の河口付近にシチメンソウと混生していることが多い。 シチメンソウに似ているが、葉の上面が平らで長さ3.5cm、幅が3mmぐらいあるので区別できる。アカザ科で、日本固有の塩性植物である。有明海北部沿岸に生育し、本庄江湖では1km上流まで分布している。土木工事などで全国的に減少傾向にあり、環境省の絶滅危惧Ⅱ類、佐賀県の絶滅危惧Ⅱ類種に指定され、シチメンソウと共に貴重な植物である。
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イセウキヤガラ
嘉瀬町では本庄江湖河口干潟に生育するカヤツリグサ科の植物。根茎は細く地中をはい、先端に塊茎をつくる。地上の茎や葉の横断面は三角形で細長く、高さは80cmほどになる。全国的に稀な植物で、佐賀県では有明海北部の河口干潟にだけ群落をつくって生育し、最近浚渫作業などで減少する傾向にある。佐賀県では準絶滅危惧種に指定し保護につとめている。
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アサザ
ミツガシワ科の多年生水草で、根茎は水底の泥中を長くはい、太く長い茎を水面に出す。葉は卵形又は円形で直径5~10cm。やや厚く縁には波形の鋸歯がある。表面は緑色で光沢があり、裏面は紫褐色。花は鮮かな黄色で5つに深く裂け、花弁の縁は糸状になっている。 六月から七月にかけて水上に抽出し、午前中に開花し午後はしぼむ。久保田町、三日月町、千代田町、鹿島市の堀や流れのゆるやかな川に群生する。佐賀市では嘉瀬町の荻野、東原、嘉瀬津、元町の堀に生育している。 全国的に少ないので、環境省の絶滅危惧Ⅱ類に指定され、佐賀県では準絶滅危惧種に挙げられている。河川改修や圃場整備により減少したが、最近では徐々に増加している。除草剤の被害も時折見かけられる。
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ドクゼリ
セリ科で水辺に生育する大形の多年生草本。地下茎は太く、竹の地下茎に似て節があり、内部には隔壁がある。地上の茎は中空で高さ60~120cm。その先端にセリの花に似た白い小さな花のあつまりを傘状に着ける。花の時期は6月から9月で遠方からでもよく目立つ。茎や葉柄を折ると黄色の汁が出る。これは、トキシンやチクトールなどの有毒成分を含むので、口に入れると神経中枢に作用し、呼吸困難となり死に至る。 佐賀県では、準絶滅危惧種に指定されている。佐賀平野南部、特に嘉瀬町、本庄町、川副町に大きな群落をつくっていたが、最近圃場整備のために急激に減少した。現在嘉瀬町では、中原や扇町の堀に僅かに見られる程度である。
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ホウライチク
筍が夏の土用頃に出るので、ドヨウタケとも言う。嘉瀬町ではオナゴタケとも呼んでいる。横にはう地下茎がないので、こんもりと茂る竹薮を形成する。日本原産ではなく、台湾、中国南部、タイ、フィリピンを原産地とする南洋竹(バンブウ)である。この竹は、火縄銃とともに中国南部から移入されたもので、鹿児島の島津義弘公が一朝有事のために家来たちの家に植えさせたのが発端である。のちに九州一円から四国南部の藩主が競って火縄銃とホウライチクを入手し分布が広められたと言われている。火縄を作るには、若い一年生のものの皮をはぎ、生のものを打ち砕いて縄をなうだけでよく、これを保存しておく。現在では防風、西陽避け、堀岸補強などの為、家の周辺に植えられている。また水鉄砲や紙鉄砲など子供の遊具を作るのに利用したり、キウリの垣や草花の支柱に利用している。筍は食べられるが、その習慣は無い。ホウライチクの竹薮は、平野部の特徴的な景観であり、圃場整備や宅地造成により近年その数が激減した。
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モウコガマズミ
スイカズラ科の高さ4mほどの落葉かん木。葉は卵形で全面に毛が多い。春先に黄白色の小さい花が多数集まって径8~13cmのかたまりをつくる。平成2年(1990)、県立森林公園に鑑真和上の上陸記念碑が竣工した折、その傍らに植えられた。鑑真和上の故郷、中国楊州市から贈られたもので、現在41株に増えている。原産地がモンゴルであるところから、和名をモウコガマズミと新しく名付けられた。中国名は瓊(けい)花(美しい花)又は八仙花で、中国では庭園木として各地に植えられている。日本では、森林公園と楊州市の姉妹都市唐津市に植えられている。
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乙護神社のクスノキ
境内の南東隅にあり、胸高直径1.25m、高さ12m。枝張りは南北19.5m、東西18mの巨木である。県の指定巨木で樹勢は極めて良好。幹にはコケ類やノキシノブが着生している。境内にはこの巨木の他に3本のクスノキが生育している。
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四面神社のクスノキ
境内には5本のクスノキが見られるが、最も大きいのは、社殿の東にある個体で、胸高直径0.9m、高さ8m。ノキシノブが着生しており樹勢旺盛。
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苗運寺のクスノキ
境内の南東隅にあって、胸高直径1.2m、高さ7m。大枝を強く剪りつめられているが生育状態は良好。ナツヅタが着生している。
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若宮神社のクスノキ
2本あるうち、社殿の東のクスノキは、胸高直径1.15m、高さ10m。社殿の北西のクスノキは、胸高直径1.35m、高さ8m。枝は剪定されているが生育状態は良好。 国道近くにもう1本あったが、道路拡幅のため平成15年に伐採された。
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八幡神社のクスノキ
境内入口南のクスノキは、1株2本立で、2本とも胸高直径は0.75m、高さ10m。オオイタビが着生している。この株以外に4本のクスノキがアラカシなどと混生している。 下宮のクスノキは、胸高直径0.3m、高さ12m。生育状態は良好。
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湾頭(わんどう)の松
本庄江河口近くの右岸(新町地区)にある祠(ほこら)を挟んで両側に5本ずつ合計10本の松が植樹されていた。この松は大きく成長して遠方からも望見できた。そこで本庄江目指して航行してくる船舶の安全航行の指標となっていた。しかし昭和20年前後に総て伐採されて、今はない。
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百間土居(土手)の松
市の廃棄物最終処分場の北側の土手に植えられていた松で、今は伐採されてない。嘉瀬川水系の泥は砂の含有量が多く粘土質が少なく干拓堤防として弱点が大きかったので、それを補強する目的で植林されたと思われている。昭和28年の水害の潮止めの杭にも使った。
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徳善院の西方にあった松林
鍋島家の徳善院縁起によると「徳善院の西方にあった松林八丁余歩を払い下げて同寺の建築材に供せり」とある。古老の話ではその松の残り1本が八幡宮と一の鳥居のほぼ中間に残っていたが最近伐採された。また、この松林の松の一部が有重の松林寺の建立に使用されたとも言い伝えられている。
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別れの松
藩政時代処刑される人が最後に家族と別れを惜しんだ場所に植えられていた松で現在は第三代目が植樹されている。 佐賀城下の西端・高橋を渡って扇町を西に過ぎて、嘉瀬元町に少し寄ったところに1本の松が植えられていた。現在は、造園業者の敷地の一隅に植えられている。藩政時代、嘉瀬川沿いに刑場があった頃には、刑場に引かれる罪人がここで見送りの肉親の者や知人と永遠の別れを告げねばならなかった。早朝、白衣蓆駕で獄舎を出された罪人は、見送りの者と水盃を汲み交わすことが許されたそうである。そこで別れの松と呼ばれている。
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四面神社の境内とその参道の松
四面神社の境内とその南側の参道沿いに旧長崎街道筋の鳥居まで、松並木がつくられていた。しかし、大東亜戦争中航空機の潤滑油として松根油が使用されるようになって、この松も松根油をとるため伐採されて今はない。