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[神社仏閣][寺][川副町]は35件登録されています。
神社仏閣 寺 川副町
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妙楽寺
山号 不可称山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 弘治元年(1555) 開基 慶善 沿革 伝えられるところでは、もと行基菩薩が、薬師如来を本尊として、現在の久保泉町妙楽寺集落に建立したといわれる。寺屋敷、堂浦などの地名や、座禅の石が残り、妃浦千軒といわれた大集落が山津波で寺もろともに流されたという。 その後、弘治元年、深川伊豫守行貞の伜2代目正五郎伊豫守が、大阪石山本願寺で改宗して真宗となり、寺号のお許しがあり、釈慶善と改めて、本寺の開基となった。その後、世襲で第15世の現住職にいたる。 第8世慶伯代に建てられた茶の間、庫裡の一部、第12世清亮代に再建された本堂、山門がその歴史の一端を偲ばせる。
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正念寺
山号 寂静山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 天正年間(1573−91) 開基 証念※ 沿革 中村左近、同右近の兄弟の武将があり、もと鰡江の豪族であったが、のち、兄左近が宗門に帰し、一寺を建立して、中村を号した。5代梅春のとき、正念寺と改称して、寂静山とした。10代梅春、法官飛檐となる。 宝物 二重に建てられた鐘楼は、名工の作と伝えられる。 ※『佐賀県近世史料第十編第三巻』p128によれば、開基は澄念とあり。
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妙恩寺
山号 貞栄山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 明暦元年(1655) 開基 圓海 沿革 今川了俊の嫡子定良駿河守が河副郷を領していたが、その三男内蔵之蒸が早死したので、内室妙恩尼が菩提のために、一庵を結び、昌壽院と号した。ときに漸く広まりつつあった真宗に帰して、宗栄と法号した。その子圓海は、母の名をとって寺号とし、第1世となる。 近くの東崎ヶ江(下早)に地蔵堂があって、その傍に妙恩尼の墓が現在する。
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真照寺
山号 興隆山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 文禄2年(1593) 開基 浄元 沿革 犬井道周辺地区では最も古い真宗寺院である。藩政時代、藩主の有明海方面への狩猟の際には、本寺が休憩所となった。明治32年、11世唯照代に本堂再建、14世円海代に庫裡が改築された。
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正法寺
山号 常宣山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 不詳 開基 教運 沿革 教運は寛永13年(1636)寂したが、2世寿宣が本山に願って、木佛、寺号の下付を受けた。慶安3年(1650)には、祖師、聖徳太子、七高僧の御影を賜わり、延宝4年(1676)良如御影を本山から受けた。8世唯然の代に寺堂再建、さらに15世是心代に大正9年本堂の屋根を瓦葺きに改める。16世大縁代に昭和8年庫裡の大改修を行う。
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明蓮寺
山号 不可説山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 天正4年(1576) 開基 長西 沿革 はじめ三論宗として創建された本寺は、現在の地より北の方約1000m付近にあったと伝えられており、今日も寺跡をとどめている。樹上大明神の神官が出家してこの寺を開いたというが、寺号は不明である。天正4年、真宗に帰して明蓮寺を称した。現在地の堂宇は、天保2年(1831)に焼失、弘化4年(1847)第12世大厳代に再建された。 寺宝 明治16年下付の四幅御絵伝
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浄教寺
山号 大光山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 寛永年間(1624-43) 開基 西安 沿革 佐賀藩に仕えた内田正右衛門の家系から出た内田掃部入道が本寺を創建して、西安と称した。神埼郡箱川大念寺を本寺とする本末関係にあった。文化年間(1804−18)14世冠雪が出て寺の中興に尽くした。天保13年(1842)に厳修された巡番報恩講が不作の年に当たっていたので、代官所から特に参詣があったという。大正13年本堂庫裡を再建し、茅葺き本堂の旧状を一新した。その後、庫裡の一部改築。
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円融寺
山号 慈光山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 寛永年間(1624-43) 開基 了専 沿革 内田舎人正右衛門兄弟が鍋島家に奉公し、数百石を得ていたが、舎人が故あって浪人となり、孫内田安右衛門が出家して、了専と称し、当寺を創めた。 昭和50年、本堂新築成る。 12代晄融は、北米開教総長、本願寺布教研究所長等を歴任、晩年は自坊で、門信徒や有縁の教化に尽くした。 【内田晄融(第12世)】内田曇叡の長男として生まれ、超宗派的な仏教布教活動を続け、大正4年世界仏教大会を開催、第1次世界大戦終結と平和回復の決議文を米大統領に伝達した。大正12年帰国、西本願寺布教研究所初代所長などを歴任、昭和20年帰佐、佐賀龍谷短大講師のかたわら地方教化に奉任した。同大に「内田文庫」4,000冊がある。
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善通寺
山号 筑波山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 天正年間(1573−91) 開基 善慶 沿革 もと、常陸(茨城県)筑波山の衆徒三千坊の首、六坊の随一として、天台宗に属した。平将門の承平の乱に連座して、筑紫へ配流された。以後、現諸富町大堂宮(祭神平将門)と関係深く、六所大明神の一といわれ、明治初年の神仏分離までは、当寺に預かった大堂宮の鍵を住職が行列を組み持参し、神殿の扉を開いて、祭礼がはじまったという。 昭和20年8月4日夜、米軍機の爆撃で、山門、鐘楼を残し、本堂庫裡全焼、昭和24年仮本堂再建して以来、庫裡の再建、改築、納骨堂建立、昭和28年アソカ幼稚園の設立、平成4年本堂、門徒開館新築、平成19年アソカ幼稚園閉園、現在に至る。 寺宝 喚鐘(宝永年間、第7世梅谷代)
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浄安寺
山号 無極山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 慶長3年(1598) 開基 浄元 治革 関ヶ原の戦いの2年前に創建される。寛永4年2月26日に寺号を賜った。現在の本堂は文化6年(1809年)再建に着手。9年の歳月を経て完成。その間、佐賀藩主や家老職等が、毎年数回有明海沿岸視察の折、来山し宿泊した。その時の地区内の宿舎割や献立に至る細部の記録が一時期まで保存されていたようだが、現在は紛失している。当時は山門、長屋まで備わっていたという。昭和26年には、はじめての大谷光照御門主が御巡教された。平成13年2月に大規模な門徒会館等の改築工事を行い、当時の名残は本堂のみとなっている。 ※古賀精里が有明海を展望した折に書き残した「望潮館」の偏額並びに精里の書も保存されている。
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明円寺
山号 延命山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 承応3年(1654) 開基 正傅 沿革 中村左近、右近の兄弟があり、武門より出て、兄左近が剃髪出家し、早津江に正念寺を創建した。弟右近は馬場陣の折、戦場砲傷を蒙った。同族の中村正右衛門が又出家して、同じく早津江に一寺を建てて本願寺に属した。承応3年(1654)本山より寺号免許を受けた。正傅は元禄10年(1697)卒して、空亥がこれを継いだが、第8世郷亥に至って、明治31年(1898)5月、寺地を現所に移した。
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真続寺
山号 古槇山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 享保3年(1718) 開基 応順 沿革 はじめ応順が村内の信徒とはかり、庵堂を建立した。12代より柘氏となり、明治8年(1875)普厳の時、寺格に昇進、寺号の認可を得た。大詫間の真宗信者は、殆ど当寺の信徒となって現在に至る。
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照真寺
山号 西海山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 明治初年 開基 守山深涯 沿革 当初は、円光寺又は浄安寺の庵として創立され、明治初年何れかの寺名を移して、深涯初代住職となる。明治13年寂後は、竜谷学生が法務についていた。時どきに住職代務があり、昭和13年、正法寺より鹿村誠心住職として2代目をつぎ、更に3代の現住職に至る。明治39年、火災にあい、その後再建された。 寺宝 五劫思惟如来像(大正10年寄進)
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光楽寺
山号 崇徳山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 広江庵(150年前)、崇徳庵(65年前)、光楽寺(昭和24年) 開基 慧天(広江庵)、哲章(崇徳庵)、芳哉(光楽寺) 沿革 はじめ慧天、広江庵をつくり、恵旭を経て、哲章の代に崇徳庵として、広江を中心に真宗教義を広める場とした。次いで、晃徳入寺して崇徳庵を教会とした。戦争で一時無住。昭和23年、住職が東与賀町妙福寺より入寺、教会を解散し、光楽寺を設立して、門信徒の教化育成に努める。 寺宝 六字名号(貞応癸二未五月善信の銘あり)
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法城寺
山号 徳永山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 貞享年間(1684−87) 開基 了智(咾分庵)、恵利(法城教会)、恵行(法城寺) 沿革 はじめ了智、咾分庵をつくり、浄了、達道を経て、桂叢(広江庵慧天の二男)が、寺子屋を兼ねて開く。恵利の代に説教所、法城教会を設立、恵行の代に法城寺となる。 その間、咾分を中心に門信徒の教化に専念する。
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正定寺
山号 醫王山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 建長6年(1254) 開基 満恵 沿革 聖武天皇の御宇、天平年中(729−748)、島原雲仙岳に来錫中の行基菩薩が、疫病に苦しむ川副郷民の請を入れて、この地に来て、薬師如来像7体を刻み、7ヵ所に安置し修法、疫病を終息させた際の薬師如来像を安置している。はじめ法相宗に属して不断院と称していたが、後、法蓮社満恵上人願海が、七仏薬師堂の請に応じてこの地に来て念仏を広め、醫王山不退院正定寺と改めた。 寛永年間、鍋島勝茂の時に至って、徳川歴代将軍の位牌を安置し、寺領を寄進され、明治維新に至るまで、その厚い保護を受けた。 寺宝 本尊阿弥陀如来立像、脇士観世音菩薩像、勢至菩薩像、薬師如来坐像(伝行基作)
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法源寺
山号 醫王山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 応永3年(1396) 開基 順教 沿革 行基菩薩の作と伝えられる川副七仏薬師の1体を安置する薬師堂が建立されて後、勅願寺として威霊高く聞こえ、多くの信者が集まった。鍋島直茂も武運長久を祈願し、堂の改築、惣門の建立等を寄進したという。 久留米の善導寺第6世聖心の弟子であった、真蓮社順教が、薬師堂の境処に一寺を建てて法源寺と号した。 寺宝 本尊阿弥陀如来像(仏師春日作)、薬師如来像(伝行基作)
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大乗寺
山号 究竟山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 永正年中(1504~1521) 開基 曜誉 沿革 はじめ関東方面において学業に精進した伝蓮社曜誉は、功成って後、郷里に帰り、南里に大乗寺を創めて、弘教の大旆(たいはい)を樹て以来今日にいたる。 寺宝 黒坪観世音菩薩、不動明王、弘法大師、六面地蔵尊
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善興寺
山号 海現山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 応永4年(1397) 開基 空恵 沿革 もと、天平8年、菅原善幸を開基とする天台宗の寺であったが、後、廃寺の状態にあった。応永年間、正定寺4世空恵が当寺を再興、浄土宗となった。年代不詳の火災の後、東向きであった本堂を、南向きに改築した。筑紫箏の玄恕典誉上人は、この寺で没した。 寺宝 観世音菩薩 その他 「ひゃあらんさん」の開基や、薬師さん(小やま)は当寺とゆかりが深い。 【齋藤用之助(第11世)】沖縄の人に慕われ、沖縄人事録に乗っている。この寺に齋藤家の墓がある。
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多聞院
山号 南里山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 元亨元年(1321) 開基 満恵 沿革 正定寺開基の満恵が、晩年、正定寺を高弟重恵に付属して、当院を建立、隠居し、専修一行日課六万遍を策励し、115歳で入寂。以来600余年を経て現在にいたる。 寺宝等 毘沙門天、福徳天、吉祥天 【小出千之助】語学者、佐賀藩士小出光覩の五男、通称、光義。はじめ、佐賀城下八幡小路の蘭学寮で大庭雪斉、澁谷良次についてオランダ語を修める。幕府遣米使節団に随行し渡米した。帰国後、彼は蘭学寮頭取の大隈重信に英語教育の必要を力説し賛同を受け、藩も英語学校・藩学所を長崎に設けた。1867年、パリ万国博覧会が開催されると、彼は佐賀藩遣仏使節団の一人として渡欧した。小出家の菩提寺である。
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執持院
山号 吉祥山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 永正年間(1504-20) 開基 順恵 沿革 はじめ三論宗の寺であったころの創立は定かでない。順恵、浄土専念の宗旨に改めて現在にいたる。現住願誉代に本堂庫裡等を改築する。 寺宝 阿弥陀如来、両脇士、両大師等 その他 門前に正徳3年(1713)建立の妙見堂がある。妙見大菩薩をまつり、眼病に効験ありと信ぜられている。
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東福院
山号 無量山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 不詳 開基 冏無 沿革 開山、杲連社団誉上人冏無大和尚は正定寺16世、筑後善導寺26世となり、正定寺に住している間に本寺を開いた。寛永18年(1641)73歳で遷化した。その後は不詳。 寺宝 子安観世音菩薩(寛延4年(1751)奉安)
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東泉寺
山号 明宝山 本尊 薬師如来 創設年代 不詳 開基 固山一鞏 沿革 一鞏和尚開創と伝えられるが、兵災に退廃していた。一鞏は延文5年(1360)入寂。中興梅叔代に鍋島家の命で、薬師如来を奉じて再建、東泉寺と号した。梅叔は慶長5年(1600)入寂。第10世浩厓代、元文6年(1741)本堂再建、前後して鐘楼を、又楼門は安政4年に建てられた。 寺宝 十六羅漢画、十三佛(地獄極楽図)十六善神、大般若経六百巻
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無量寺
山号 萬寿山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 応永年間(1394−1428) 開山 足翁 沿革 享禄3年(1530)大内氏と少弐氏と戦ったとき、少弐氏を授けた龍造寺剛忠に従って、当寺の僧が戦功をたてた。又元亀元年(1570)大友軍が川副郷に来襲したときも、当寺僧に防がれて退いた。この時寺は殆ど焼失したという。
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東光寺
山号 醫王山 本尊 薬師如来 創設年代 延文5年(1360) 開基 天龍固山 沿革 天平年間、川副七佛薬師の一体をまつる薬師堂にはじまる。天龍固山が東光寺を称して臨済宗に属する。承応元年(1652)建翁寅公を中興開山とする。 寛永20年(1643)鍋島勝茂が、堂宇を建修したのをはじめ、度々国守の寄進免除税があった。 寺宝 大般若波羅蜜多経六百巻
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西福寺
山号 大悲山 本尊 悲母観世音菩薩 創設年代 元禄年間(1688−1703) 開基 鳳林 沿革 万延元年(1860)本堂庫裡を改築したが、その後、昭和62年本堂総改築、平成8年庫裡総改築し、今日に至る。 寺宝 元禄7年(1694)記銘の換鐘、十六羅漢図 (十六幅)
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威徳寺
山号 鹿祥山 本尊 延命地蔵願王大菩薩 創設年代 文明年中(1469-86) 開基 友窓益大和尚 沿革 天文22年(1553)龍造寺隆信が旧領回復をはかって、筑後から海を渡り、鹿江崎に上陸して威徳寺で旗揚げをして、佐賀城を奪還した。この因縁によって、その後、龍造寺の帰依保護を受けた。 寺宝 龍造寺隆信画像(法雲院殿泰岩宗龍大居士)隆信使用陣太鼓
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円照寺
山号 光明山 本尊 聖観世音菩薩 創設年代 享禄年間(1528頃) 開基 天亨 沿革 鹿江に築かれていた龍造寺隆信の遠縁にあたる鹿江遠江守兼明公の館に近く、兼明が菩提寺として、円照寺を創建した。龍造寺家兼の弟、天亨和尚を請して開山とした。その後、十二ヵ寺の末寺が建てられたという。また、今古賀天神社は当寺の鎮守として建てられた。
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龍泉寺
山号 宝寿山 本尊 延命地蔵菩薩 創設年代 不詳 開基 松堂守拙 沿革 開山は玉林寺独住第1世一庭融頓大和尚といわれるが、これは拝請開山で、実際は玉林寺独往第5世松堂守拙和尚と思われる。当山の中興として開山の次第2世の前にある。寛文12年(1672)遷化。明治4年火災で一切を焼失。 その他 米納津集落中に延命寺旧跡があり、その墓地には、天正16年(1588)から宝暦13年(1763)に至る墓碑がある。江口一族の寺と思われるが、後、龍泉寺と合併した。
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幸元寺
山号 東明山 本尊 薬師如来 創設年代 天正10年(1582) 開基 剛岳宗金 沿革 当寺に縁深い内田正右衛門(活龍源水居士)は、正徳年間(1710頃)鉄仁金家の高弟で、名刀の鐔作りの名人といわれる。大正10年全焼した。墓地に梵字の五塔、五輪の塔等がある。昭和53年茅葺きの本堂を改築、平成21年3月庫裡総改築し、現在に至る。 寺宝等 大般若経三千巻、普門品三百巻、奉納の塔(寛政9年)